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ストーリー

晩鐘

Jean-François Millet · 1857-1859 · 油彩・カンヴァス · 55.5 × 66 cm · オルセー美術館(パリ)

二人がジャガイモの収穫を止めてアンジェラスを唱えます。

ジャン=フランソワ・ミレー《晩鐘》:夕暮れの空の下、平らな畑で帽子を手にした男性と手を合わせた女性が頭を垂れて祈る。そばには農具、ジャガイモの籠、袋を載せた手押し車があり、地平線には小さな教会の尖塔が見える。
晩鐘, Jean-François Millet, 1857-1859. Wikimedia Commons · Jean-François Millet · 晩鐘 · 1857–1859 · Musée d'Orsay · パブリックドメイン
  1. 手が止まる。鐘が鳴ったのだ。
  2. 彼女は手を組む。彼は帽子を持つ。
  3. 二人の間に、じゃがいものかご。
  4. はるか遠くに、小さな尖塔。鐘はあそこにある。
  5. ミレーは子ども時代を覚えていた。鐘が鳴ると、家族は手を止めて祈った。
  6. ダリはこの絵に取りつかれた。あのかごに、子どもの棺を見たのだ。

《晩鐘》は、ジャン=フランソワ・ミレーが1857年から1859年にかけて描いた油彩画で、パリのオルセー美術館が所蔵しています。ジャガイモの収穫の手を止めた男女が、夕方の光の中でアンジェラス(お告げの祈り)を唱える姿を描いています。

ミレーの《晩鐘》には何が描かれているのか?

ミレーは1857年から1859年にかけて、この休止のひとときを描きました。男女がジャガイモの収穫を止め、受胎告知を記念するカトリックの祈り、アンジェラスを唱えています。

左の男性は帽子を体の前に持っています。右の女性は手を合わせて頭を下げています。顔が影に隠れているため、しぐさが場面の意味を伝えます。

《晩鐘》はなぜ「怖い」と言われるのか?

左にはジャガイモを掘る農具が立ち、二人の足の間にはジャガイモの籠があります。女性の後ろの手押し車には袋が載っています。これらが祈りと肉体労働を結びつけています。

右の地平線には小さな教会の尖塔が見えます。祈りの時刻を告げる遠くの鐘と畑を結びつけますが、教会の礼拝そのものは描かれていません。

この絵が「怖い」と語られるとき、中心にあるのはサルバドール・ダリの読み方です。ダリによれば、1932年6月、《晩鐘》のイメージが突然頭に浮かび、彼はこの絵をめぐる一冊の本を書きました。1963年にようやく出版されたその本には、ダリの求めでルーヴル美術館が撮影したX線写真が収められ、二人の足元の地面に暗い形が写っていました。ダリはそれを、ミレーが塗りつぶした死んだ息子の棺だと主張しました。ただし、これはあくまでダリの解釈です。一方でミレー自身も、祖母が仕事を止めさせ、「亡くなった人々のために」この祈りを唱えさせたと回想しています。 (The Dalí Museum)

ミレーは《晩鐘》をどう組み立てたのか?

暗い人影の後ろで、暖かな夕方の光が空に広がります。前景を褐色の土が満たしています。低い地平線によって、二人は広い光の空を背に高く見えます。

1865年、ミレーは子供の頃の習慣を回想しました。鐘が鳴ると家族は畑仕事を止めてアンジェラスを唱えました。この絵は、日常の一日に祈りが入るというその記憶から生まれています。

描かれたあと、《晩鐘》には何が起きたのか?

油彩画は縦55.5、横66センチと小さいのに、二人は記念碑的な大きさを感じさせます。ミレーは写実主義やバルビゾン派に通じる持続的なまなざしを農村生活に向けています。

《晩鐘》は、引き取り手のない注文画として始まりました。ナポレオン財団によれば、パリに立ち寄ったアメリカ人トーマス・ゴールド・アップルトンが注文したものの、受け取りに戻らなかったのです。それから30年ほどで、この絵は国の誇りをかけた存在になります。オルセー美術館は、1889年にルーヴル美術館が購入を試みた際、信じがたいほどの愛国的熱狂が巻き起こったと伝えています。その後もダリに崇拝され、1932年には精神を病んだ男に切り裂かれ、20世紀を通じて世界的に有名なイコンとなりました。 (オルセー美術館(パリ))

この絵は1910年に受け入れられたアルフレッド・ショシャールの遺贈で、オルセー美術館に所蔵されています。台帳番号はRF 1877。頭を下げる二人と待つ農具に戻ると、仕事が止まった場面の中心には人がいます。

ミレー《晩鐘》をもっと深く:怖いと言われる理由・その後・まとめ

作品プロフィール

  • 作品名:晩鐘
  • 作者:ジャン=フランソワ・ミレー
  • 制作年:1857-1859
  • 技法:油彩・カンヴァス
  • サイズ:55.5 × 66 cm
  • 所蔵:オルセー美術館(パリ)

《晩鐘》はなぜ怖いと言われるのか? ダリが見た「子どもの棺」

夕暮れの畑で、男女が手を止めて祈っています。ミレーの《晩鐘》は、一見すると穏やかな祈りの絵です。けれどもこの絵には、「意味がわかると怖い」と語られる裏の物語がついて回ります。その出どころをたどると、一人の画家に行き着きます。

サルバドール・ダリです。ダリによれば、1932年6月、何の前触れもなく《晩鐘》のイメージが頭に浮かび、彼はこの絵をめぐる一冊の本を書きました(原題 «Le Mythe tragique de l’Angélus de Millet»)。本がようやく出版されたのは1963年。そこには、ダリの求めでルーヴル美術館が撮影したX線写真が収められていました。写っていたのは、二人の足元の地面にある暗い形でした。

ダリは、これこそ死んだ息子の棺であり、サロンの好みが感傷的な表現から離れたため、ミレーはそれを塗りつぶすよう説得されたのだと主張しました。そう聞いてから見直すと、二人の間に置かれたジャガイモの籠が、小さな棺の代わりに見えてきます。祈る二人は収穫に感謝しているのではなく、わが子を弔っているのではないか。この絵が「怖い」と語られるとき、中心にあるのはこのダリの読み方です。

ただし、これはあくまでダリの解釈です。X線写真に写っていたのは「暗い形」であり、それが棺だと確かめられたわけではありません。美術史家ドーン・エイズは、ルーヴルでのX線写真の結果を受けて、ダリの妻ガラが語った言葉を紹介しています。「もしこの結果が証拠なら、なかなか素晴らしいことね。でも、本のすべてが純粋に頭の中だけで組み立てたものだったとしたら、それこそ崇高だわ」。

もう一つ、ミレー自身の言葉にも小さな影があります。1865年、ミレーは、畑で働いていると祖母が教会の鐘を聞いて必ず仕事を止めさせ、「亡くなった人々のために」アンジェラスを唱えさせたと回想しています。オルセー美術館も紹介するこの言葉を知ると、ミレーにとって夕暮れの祈りが、死者を思う祈りでもあったことがわかります。

出典:thedali.org、www.musee-orsay.fr

その後の《晩鐘》:引き取られなかった注文画から、国を挙げた争奪戦、そして切り裂き事件へ

《晩鐘》は、もともと引き取り手のない絵でした。ナポレオン財団によれば、パリに立ち寄ったアメリカ人トーマス・ゴールド・アップルトンが注文したものの、受け取りに戻ってこなかったのです。

ところが時代が下ると、この小さな絵は国の誇りをかけた存在になります。オルセー美術館は、1889年にルーヴル美術館が購入を試みた際、信じがたいほどの愛国的熱狂が巻き起こったと伝えています。このときルーヴルは絵を手に入れられず、絵はいくつもの持ち主の手を経たのち、最後はアルフレッド・ショシャールの遺贈によって国のものとなりました。

20世紀に入っても、話題は尽きません。1932年には精神を病んだ男に切り裂かれ、ダリには崇拝され、やがて世界的に有名なイコンとなりました。偶然にも、ダリの頭にこの絵が突然浮かんだという1932年は、絵が切り裂かれた年でもあります。現在はオルセー美術館に収められ、台帳番号はRF 1877です。

出典:www.napoleon.org、www.musee-orsay.fr

まとめ:鐘が鳴るとき、二人は誰のために祈るのか

《晩鐘》は、ジャガイモの収穫の手を止めて祈る農民を描いた静かな絵です。そこに棺を見たのはダリであり、それは今も一つの解釈にとどまります。それでも、ミレー自身が語った「亡くなった人々のため」の祈りという記憶を重ねると、夕暮れの光はただ美しいだけのものではなくなります。

次に《晩鐘》を見るときは、二人の足元の籠と、遠くの小さな尖塔のあいだで視線を往復させてみてください。鐘の音は、一日の仕事を止める合図であり、亡くなった人々を思い出す合図でもあったのかもしれません。

細部をひと目で

  1. 手が止まる。鐘が鳴ったのだ。
  2. 彼女は手を組む。彼は帽子を持つ。
  3. 二人の間に、じゃがいものかご。
  4. はるか遠くに、小さな尖塔。鐘はあそこにある。
  5. ミレーは子ども時代を覚えていた。鐘が鳴ると、家族は手を止めて祈った。
  6. ダリはこの絵に取りつかれた。あのかごに、子どもの棺を見たのだ。

出典と参考資料

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